森本稀哲氏

 東京都荒川区出身の元プロ野球選手、森本 稀哲(もりもと ひちょり 1981年1月31日 - )は、試合前にコスプレでお客さんを楽しませることで有名でした。テレビ朝日「しくじり先生 俺みたいになるな!!」(日曜後9・58)に出演しました。

 





森本稀哲氏 新庄氏に影響受け“しくじり”「飲食費だけで年間2000万円」
 日本ハムなどで活躍した元プロ野球選手の森本稀哲氏(36)がテレビ朝日「しくじり先生 俺みたいになるな!!」(日曜後9・58)に出演。日本ハム時代のチームメイト・新庄剛志氏(45)に影響を受けるあまり犯した“しくじり”を明かした。

 03年オフに日本ハムに加入した“スーパースター”の新庄氏に、プレーだけでなく私生活においても影響を受けていたという森本氏。新庄氏は06年シーズンをもって現役を引退。翌年、新庄氏が背負っていた背番号「1」を継承した森本氏は、打率3割を記録しチームのリーグ連覇に貢献した。

 しかし、それが「ドデカいしくじりの幕開けだった」と告白。シーズンオフに達成感から“燃え尽き症候群”に。翌シーズンの開幕直後に死球で骨折して戦線離脱したが「シーズンオフに休めてラッキー」という心境だったという。

 その後どんどん成績が下降するも、当時の推定年俸は1億3000万円。「派手に遊んでいた。新庄さんは『お金は使えば返ってくる』と口ぐせのように言っていたので。ばく大なお金を手にしたことで新庄さんのド派手な私生活までマネをしていた」と振り返り、「飲食費だけで年間2000万円オーバー」「オリジナルグッズの作成」など金銭感覚が崩壊していたことを明かした。
森本稀哲さんを変えた新庄さんの言葉「今日でお前の人生が変わる」「ピッコロに集中しろ」
 元プロ野球選手で、日本ハムなどで活躍した森本稀哲さん(36)が3日放送のテレビ朝日系「しくじり先生 俺みたいになるな!!」(日曜・後9時58分)に出演し、日本ハム時代のチームメートの新庄剛志さん(45)とのエピソードを語った。

【写真】清原もビックリ!ピッコロ大魔王にふんした森本稀哲

 「自分らしさを見失い大転落SP」として登場した稀哲さんは、小学1年の時に「汎発性円形脱毛症」になり、いじめられた過去を告白。当時はサッカーをやっていたが、「ずっと帽子をかぶってられる」という理由で野球に転向したことを明かした。

 2004年に新庄さんが日本ハムに入団してから師弟関係となり、自主トレでの新庄さんのアドバイスのおかげで打撃が好調になり、当時は年間250日一緒に生活。新庄さんを見習ってど派手な生活になり「食費だけで年間2000万円オーバー」だったことも明かした。


 新庄さんもVTRで出演。新庄さんは試合前にヒルマン監督(当時)に「俺、今日出ません。稀哲が絶好調なので使ってください」と直談判。稀哲さんには「今日の1日でお前の人生が変わるから」と送り出したという。稀哲さんはその試合で活躍がきっかけとなりレギュラーの座をつかみ、ブレイクした。06年のオールスターでは「今日は野球じゃない。ピッコロに集中しろ」のアドバイスを受け、ピッコロ大魔王にふんしたパフォーマンスも敢行した。

 その後、横浜(DeNA)、西武と移籍し17年間のプロ野球生活を終えた稀哲さんは、「しくじりもありましたけど、野球人生は最高の形で終わることができました」と話した。現在、インドネシア・バリ島で生活しているという新庄さんへは「日本に帰って来い!」とメッセージを送っていた。苦しいときにどうがんばるか。他者はそれを見て評価している
 森本稀哲氏の処女作『気にしない。どんな逆境にも負けない心を強くする習慣』では、少年時代から北海道日本ハムファイターズ、横浜DeNAベイスターズ、埼玉西武ライオンズで迎えた引退試合まで、40にも及ぶエピソードを収録。著者自身が抱えた問題から何を学び、どのように解決してきたのか――ポジティブになれる何かを必ず感じ取ってもらえるはずです! 読後、前向きになれるコンテンツを本書から紹介します。

● 一番苦しい時期をどう乗り越えるか

 いいときがあれば、悪いときもあるのが人生です。

 日本ハムが、リーグ2連覇を成し遂げた2007年を頂点に、僕の野球人生は下り坂の時期に入っていきます。

 2008年、梨田昌孝さんが日本ハムの新監督に就任しました。トレイ・ヒルマン前監督は、勢いの良さや元気さを大切にするタイプでしたが、梨田監督は、長打の打てる選手を積極的に起用するタイプです。現役時代は近鉄バファローズで長くプレーし、「いてまえ打線」を形成していたからか、バッティングではデカい当たりが好まれました。

 状況に応じた打ち分けを売りにしていた僕は、正直なところ長打は得意ではありませんでしたが、練習から監督に必要とされるようなバッティングを心がけていました。

 生意気だった若い頃は、監督やコーチに合わせてプレーするなんて考えられませんでした。

 レギュラーを獲り、2度の優勝を経験したことで、いつの間にか「レギュラーの座を守るためなら」と思うようになっていたんです。

 この年、僕は開幕スタメンで起用され、5月までは打率も上々でした。ところが、5月25日のセ・パ交流戦、読売ジャイアンツ戦でデッドボールを受けて、左手小指を骨折してしまいます。戦線に完全復帰できたのは、シーズンも終盤に差し掛かった8月下旬でした。

 そこから調子を上げることができず、ついに2009年の開幕スタメンからはずれることになりました。

 この年が日本ハムにいたときで、一番苦しい時期でした。センターのポジションはいつしか奪われ、結果的にレフトにコンバートされたのです。

 かなり落ち込みましたが、当時の僕はこう思っていました。

 「ここで腐らないようにしよう。ダメなところを見せて、チームに悪影響を及ぼす選手にだけはなりたくない」

 それは、かつてのこんな出来事が影響しています。

野球解説者・森本稀哲氏、横浜DeNA山崎康晃に「男山崎を見せて欲しい」

 

 横浜DeNAが8月3日、対中日17回戦に4対3で勝利した。1点差を守りセーブを挙げたのはクローザーの山崎康晃投手(24)。AbemaTV(アベマTV)の中継で解説を務めた森本稀哲氏は、特別な思いで後輩である山崎の投げる姿を見ていた。

 横浜DeNAの1点リードで迎えた9回、アレックス・ラミレス監督はここ2試合救援に失敗している山崎をマウンドに送った。森本氏と山崎は、同じ帝京高校のOB。中継内では、山崎が野球を始めたきっかけが森本氏であり、森本氏の姿に憧れて「僕もあのユニフォームで甲子園に行きたい」と帝京高校へ進学したというエピソードが紹介され、それに対し森本氏も「家族みんなで応援している」と明かした。そして「山崎は昨日、その前の試合と悔しい思いをしている。今日は男山崎を見せて欲しい」と檄を飛ばし、「もってこいの展開ですからね。さあ頑張れ!」と熱のこもった応援をした。

 「今日は0点で抑えるというよりも3人で完璧に抑えて欲しいですね」という森本氏の期待どおり、山崎は9回を三者凡退に抑えて見事“復活”。これには森本氏も喜びを見せるとともに、AbemaTVのコメント欄には「ひちょりありがとう!」と森本氏の応援に感謝する書き込みがあふれた。

(C)AbemaTV

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